CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
手しごと拝見 〜40日間インド一周〜
鳥型
 たまにイベントなどに出店しているアクセサリー屋「百糀(ももこうじ)」で一緒にインドで買い付けた雑貨も売れたらなと思い、インド各地の職人技をみてまわろうと意気込んでいったものの旅の大半を過ごした南インドでぴんとくるような雑貨や小物にはなかなか出合えません。

ハンピ

 リキシャー代を安くしてもらうのと交換条件で買わなくていいから店にいってほしいとお願いされていった土産物屋(運ちゃんが客引き賃をもらえる)でもすてきな刺繍が施されたショールを見つけたのですが、どこでつくられているのかと聞くと、ここから数千キロ離れた北インド・カシミール州で作られたものを運んできたのだといいます。作っている工場を見せてもらいたいなと思っていたので、あまりの遠さにがっくりです。

 海やバナナ畑、茶畑、岩の街・・。
ハンピの朝日
ケララ州やタミナドゥ州など南の地域はどこも自然の美しさが圧倒的で観光客も土産を買っているどころではないのでしょう。結局、職人技拝見の目的はすっかり忘れ自然に身をゆだね、太陽とともに起き、月が出る頃には布団に向かう暮らしをしばし満喫しておりました。

 それでも帽子デザイナーの友達に裏地に使えるようなシルクの布を頼まれていたこともあり、北上し旅も残すところあと10日ばかりになってようやく本腰を入れて雑貨&土産もの探しの旅の始まりです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※※木彫りの型印 from ラジャスターン※※
木製ハンコ
 南から北上したインド全土だと真ん中西寄りのプネ。そこから連夜バスで移動して、4日近くかかってダライラマの邸宅がある山地・ダラムシャーラーにつきました。メインの村マクロード・ガンジと泊まっている宿のあるバクスーという村を結ぶ30分ばかりの道ばたで千個近いハンコを広げて売っているおっちゃんがいました。毎日同じ場所にいて、木片に黙々と花柄模様の彫刻を施しています。
 首都デリーから西側に位置するラジャスターン地域がブロックプリント(型印染め)で有名な土地なのですが、そのもととなるハンコはこうして一つずついまでも手彫りされています。

 同じ文様でも大きさや柄が少しずつ異なり、味があります。もともとこのブロックプリント用の型をいくつか買って帰ろうと思っていたのですが、かわいらしい鳥の文様が目にとまりました。焼き鳥屋でいつも集う「鳥会」メンバーのお土産にいいなと、鳥ばかり選んでいると孔雀はどうだ、ガネーシャのゾウはどうだとほかの動物を親切にも探して勧めてきますが、その度に断っていたので、なんでこいつは神様のガネーシャ様にも目もくれずそんなに鳥ばかり集めてるのかと思ったことでしょう。チキンが好きなのということにして、もくもくと鳥柄を集めて満足げな表情を浮かべていました。


※※ペーパークラフト from カシミール※※
バングル
 木彫りのハンコで購買熱に火がついてしまったようでペーパークラフト店を見つけ、作り方や絵付け道具など見せてもらい最後には次回来たときに工場を見せてもらう約束まで取り付けてきました。

 日本の張子とほぼ同じ要領で古紙をノリで固め、色づけしていくエコロジカルなペーパークラフトでカシミール地方の伝統工芸です。なんといってもこの店のウィリアム・モリスにも似たデザインがすっかりきにいってしましまって、小さい店にも拘らず写真を撮らせてもらったり、大量買いしたときの値引き交渉などしているうちに小1時間あっという間に過ぎています。クリスマスの時期にしか需要のないクリスマスオーナメントもあり、真夏にこれを見るのもなんだか滑稽な気がしましたが、南にはクリスチャンも多く、クリスマスの文化もかなり浸透しているようです。ターバンを巻いたインド人が描かれたリースなんかもあってかわいらしい。サリーの鮮やかな色とあいまってクリスマスの時期、町は相当にぎやかな色を発するのだと思うと12月にも一度訪れてみたいです。
箱


※※ドアノブ fromオリッサ※※ドアノブ
 絵付けがかわいらしい陶器のドアノブはオリッサ州で作られているといいます。我が家は生粋の和風アパートなのでドアノブといったら家の玄関くらいしかないのですが、あまりのかわいさにいくつか買ってきました。それぞれ手描きで色合いも微妙に異なります。それに加え、店の飾られている商品はどこへいってもほこりっぽくそれがまたいい風合いを出していました。
ドアノブ2

※※刺繍布 fromカルナタカ※※
古布
 デリーの街の中心地からちょっと脇に入った通りに女性たちが刺繍製品を広げて売っている一角がありました。旅行最後日で手持ちの金も残りわずかで誘惑にのってしまうと空港への足代すらあやういので店から距離を置いて歩いていると、「みるだけ。みるのはタダだから」と一斉に手をつかまんばかりの勢いで客引きをしてきます。その様子は男性たちが呼び込みするよりよっぽど迫力があります。
 そのひとつに古布ばかりを扱っている店があって、売っている人も感じのよい女性だったのでいろいろ話していると、すっと隣から手が出てきてこんなのもあると似たようなもの、でも全然趣味の違うものを見せてきます。ちゃっかり横の人が進出してきて自分の商品を売りつけてくるのには女性の強さを感じました。使い道の分からないような布類たちは意味のあるものも多く、結婚すると花嫁がつけるという重りのようなボンボンがついた腕輪がありました。両腕につけると重いので、つけている数ヶ月は料理も洗濯も何にもしなくていいらしい魔法の腕輪です。こんないわれを聞くとつい使い道もないのに欲しくなってしまうのですが、お金がないのを理由に買いとどまり、店の子につけてもらって写真だけ撮らせてもらいました。あなたもつけたの?と聞くと、まだ結婚してないからつけてないわと照れていたのがかわいらしい。
 結局買ったのは韓国の刺繍ポシャギにも似た淡い桃や緑色を混ぜた古布で、カルナタカ州のジプシーたちが刺繍したものといいます。手が込んでいて値段も予算オーバーだったのですが、きづけば財布にあったなけなしのお金殆ど出していました。帰りはもうなにも買えないと1時間ばかりの距離を歩いて帰りました。
布ソトリート


※※シルク地&コットンプリント※※
シルク生地
 友達に頼まれていたのは「安くて、ちょっと薄っぺらい花柄のシルク地」。それにしても、頭の中でほしいイメージがわかっているものをインドで見つけるのは難しい。店に入って値段交渉なんてしようものなら最後、なにも買わずに店をでるのはくもの巣に引っかかった虫のようにもがいて逃げるしかありません。なので値段を聞くのも素材や使い道や聞けることを聞いて最後の最後です。質のいいのはわかっているけど安っぽい生地で予算はこれくらいのものを探したいといって先手を打っておくのですが、どうして質のいいものを買わないのか、一個の値段で2つつけると店の人も引き下がらず、この値段じゃないとやだと店を去ろうとすると、もういい、でていけとほんとに追い出されることもしばしば。
布屋スットクルーム

 一通り布屋を見つけてはめぼしいものを見せてもらったのですが、多くはサリーとパンジャビドレス(アオザイのようなワンピース)用の布地。つるつるした合成繊維が多く、柄も求めているものとはちょっと違います。リキシャーの人にマーケットにいってといったのに、相変わらずドアボーイのいるような超高級布地屋につれていかれ、ようやく思い通りの布が見つかったのは最終日に行った地下に網目状に店がひしめきあっているパリカバザールの中の1店。これまたカシミール地方の布を扱っている店だったのですが、店員がなかなかいいおっちゃんでこんど来るときはぜひ家にきたらいいとお誘いを受けます。

 ペーパークラフトの工場を見にカシミールへいかないとだし、カシミール地方がうちを呼んでいるようです・・・。

ボタン屋のおっちゃん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 それにしてもインドをみて回っていて思ったのは、機械でつくられるものより手仕事のもののほうがはるかに安いということです。大量生産されるプラスティック製品は逆に高かったりして、手仕事がまだまだ日常に根付いています。機械製品にしたって、どうみても日本なら廃車だろうというおんぼろスクーターを、肩が凝ったおっちゃんが首をポキポキと鳴らして首をかしげるように無理やりハンドルを右、左と動かし、ねじがないのか蓋をぱかっとあけコードをちょちょいといじってガムテープではって、上からぽんぽんと叩いておしまい。何事もなかったようにまた走り出していきます。壊れたからすぐに捨てるなんていう考えは到底頭の中になく、よく言えば「ものを大事にする」国民性をうらやましくもおもってしまいました。
布たち
| つれづれ旅ばなし/海外アジア編 | 20:02 | comments(2) | trackbacks(0) |
究極のシンプルらいふ 〜40日間インド一周〜
コーチン チャイニーズフィッシング
 この時期マンゴーが最高だよと聞いてケララ州にやってきました。
コーチンは海沿いにあってチャイニーズフィッシングという伝統的な漁法が行われている漁師町です。船に乗って上陸すると真っ黒に日焼けしたおじちゃんたちがこっちこいと海に突き出した木の板をつなぎ合わせた台の上で手招きをしています。
 一本の丸太をつなぎ合わせた渡し棒を綱渡りのように渡っていくと、みんな笑顔で迎えてくれ、一緒にひっぱらないかと漁のお誘いです。いくつもの石が錘としてくくりつけられ、テコの原理で5人がかりで6メートル四方の網をひきあげていきます。魚がかかっているか見にいってはかかった魚をとって戻り、また網を下ろして同じ作業を1日中繰り返して、彼らたちの日々はすぎていきます。
 宿で一緒になった韓国のおっちゃんは彼らと仲良しでたまに酒を飲みに行くようですが、稼いだ金はすべて酒に費やしてしまう人もいるようで、家にいったらものというものが一切なく、コップはもちろん、奥さんすらいなくて驚いたといっていました。まさに究極のシンプルライフを生きている彼らのいさぎよさに、ここまでいけば立派と思ってしまいます。

大漁
 網を引き上げても一匹もかからないこともあるのですが、ある程度魚がとれると袋に入れて陸に戻り、市場で売ってきます。このときはちょっと大きな魚がとれて200ルピー(400円相当)になったとにこにことエ外で戻ってきました。
 いろいろ見せてもらったお礼に気持ち代を渡しておくとよいよと韓国のおっちゃんにいわれ、20ルピーを渡したのですが、ちょっとまっていてと空瓶をもってどこかへ駆けていきました。少しして戻ってきて、手には瓶につめたチャイと油で揚げたドーナツを持っています。漁は一休みして、みんなでティータイム。余った分は空を飛び交うカラスたちにやります。結局渡したお金はまた自分たちが飲んで終わってしまったのですが、こんなお金の使い方すてきだなとまたもや気分よく、この場所をあとにしました。
| つれづれ旅ばなし/海外アジア編 | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
プネのともだち 〜40日間インド一周〜
ミヒル
 日本でよく遊んでもらっていたインド人の友達ミヒルに会いにプネにやってきました。日本ではコンピューター関係の仕事をやっていたのですが、お好み焼き屋をやりたいと、いさぎよく辞めてインドで出店するべく帰国し、この1年いろいろ動き回っていたようです。

 プネに夜行バスでやってきて朝5時ごろ到着。電話をするにも早すぎるので列車の駅までひとまずいき、駅で時間を潰すことにしました。これまで回っていた南インドからずいぶんと北上した地図でいうとインドの真ん中西側あたりなので、道行く人の雰囲気が違います。南のおっちゃんたちは腰に一枚布を巻いているだけで、ときたま歩いているとちらりと見える太ももにドキリとしてましたが、そんな格好をしている人はこの町ではすっかり姿を消し、ちゃんとシャツを着てメガネをかけてと、知的な雰囲気が漂っています。おもだって観光するような場所もないのですが、有名な大学があり各国から留学生もやってくる教育都市なのだとあとで聞いて納得です。

 友達とは久々の再会を喜び、中心地から20分ばかりいった自宅に車で向かいます。ついたのは高層団地街で、彼が日本で住んでいたのもほとんど似たような団地街だったので思わず笑ってしまいました。でもインドで団地というと結構いい暮らしのようで、6階の部屋からは遠くに山も見渡せ、山に落ちる夕日が見えます。トイレも隣りあわせで2つもあり、必要なのといったら、一人が入ってたら困るじゃん、と・・。

開店
 翌日はオープンしてまだ1週間たらずという友達のお店についていきました。資金の問題やインド人の味の好みもあってかお好み焼き屋ではなく、インド料理マトン&チキンタリーの店だといいますが、あっという間に夢を実現している実行力には脱帽。マトン、チキンの買出しから朝の仕事は始まりました。

チキン
マトン
 
 やぎさんが宙吊りにされ、皮をはがされ、次々解体されていきます。血が滴る肉を袋に詰めて10キロ分、スクーターに乗せ、マトンとともにうちら2人も乗せて高速をびゅんびゅんゆきます。7人の従業員が働くというお店は高速沿いにあって、エアコンルーム設備のきれいなお店でした。まだ開店前で部屋のハエ殺しに熱心な少年を手伝っていっしょにハエをつぶします。店員にてきぱき指示をだしたり、掃除をしている友達の姿をみるのは不思議でもあり、頼もしくもありました。

マトンタリー
特製ドリンクは塩とハーブが効いた野菜のジュース。
tokuseiji
 ランチにごちそうになったマトンタリーはスパイスが効いていて美味しかった。ひさびさに食べた肉料理でもありました。食事をごちそうになったお礼にうちもメニューの黒板を書いてちょっとお手伝いし、帰りはスクーターで友達を後ろに乗せて帰りました。こちらはヘルメットなしも、無免許も、2人乗りもうるさいこといいませんね。

メニュー
| つれづれ旅ばなし/海外アジア編 | 19:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
ただいま列車待ち 〜40日間インド一周〜
チェンナイ→バンガロール
 前回のインド旅で列車に乗れずじまいだったのが心残りで今回はぜひ列車にのろうと思ってやってきたたのですが、この国で列車に乗るのはかなり難しき道のようです。そもそもインターネットが発達しているようで、事前に予約をしておけばいいらしいのですが、どこへ行くか決めていないのでそれは難しい話。

 電車に乗りたいと思って駅にいくと40,50人の列×10列、いやもっとか、優に500人は超える人が、暑っついのに横入りされないように頭と頭がくっつくくらい近づいて並んでおります。結構みんなおとなしく並んでいるのが不思議なくらいでインド人は意外と忍耐強いのではと思って感心してみたり。しかも大行列ができているというのになんのアナウンスもなしに突然窓口の人が去っていき、そのまま窓口が閉まるのを静かに受け入れまた横の列に移動して並びなおすのは、かれらの懐の深さがどこまで大きいのかとあきれるほどです。
 並んでた列は無秩序に崩れ、横の列に人が流れ込み、また最初からスタート。地方から一緒に町にでてきた友達のインド人はこんな人ごみをいままでみたことがなかったらしく、人の多さと熱気に具合を悪くし、吐いていたほどです。そこら中で小競り合いは絶えず、窓口にたどり着くのに1時間なんてざらです。

 そんなこんなで駅に行くたびにチケット確保はあきらめて駅をあとにしていました。列車以上にバスも交通網が発達してほとんどをバスで異動していたのですが、チェンナイからバンガロールへバスでいこうとバス停までお願いすると、リキシャーのおっちゃんにバスステーションは10キロ以上あるから列車のほうがいいといわれました。
駅のおっちゃん
 ひとまず駅にいってみることにし、正しい窓口を見つけるのにあっちだこっちだとまわされ1時間、列に並んで1時間。取れたのは6時間後に出発のチケットでしたが、なんとか席を確保です。

 6時間足らずの旅だというのに待たなければならず、荷物を持ってて外に行く気もうせ、駅で座って待つことにしました。
席に座っていると次から次と隣に人がやってきて話しかけてきます。あるおっちゃんは占い師だといって誕生日で占ってくれて、これで金の指輪をつくればこれからいいことがあると、カットガラスを紙に包んで3粒くれました。そして、も一人のおっちゃんは神の思し召しがあったと、貿易の仕事をやらないかと仕事を持ちかけてきます。なんだかんだとホットミルクを2杯ごちそうになり、6時間の待ち時間も意外とあっという間でした。駅で座ってるだけで食べ物や仕事が舞い込んできて、日本より仕事はみつかりそうだな、なんて思ってしまいました。

ちびっこ
 列車はでっかいおっちゃんに両脇をはさまれた3列シートで、しかもどちらもビジネスマンらしく、携帯を両手に持ち終始電話をしてます。前の席は家族ずれで2人の子供たちがぴょこぴょこ顔を出してきます。チャイ、トマトスープ、オムレツ、シール、花、団扇、パカパカなる楽器、ひっきりなしに物売りがやってきては声を張り上げて横を過ぎ、窓際の席でもないので景色を見ることもできません。気づくと隣に座っていた女の子が船をこぎ始め結局うちのひざで眠りこけて、7時間あまりトイレに行くこともままならず到着でした。

 目的地のバンガロールについたのは夜10時。次の目的地ハンピへは夜行列車がでているのですが、出発するのは30分後の10時半です。30分でチケットを取るなんて到底無理だろうと駅で夜を明かすのを覚悟しつつ、一度チャレンジしてみることにしました。この時間になるとなんだか並んでいる人たちもチケット確保に必死で、前の人の汗が飛んでくるほどです。うちもがんばって並んだものの、予約はできないといわれ、ホームにいけといわれ、ホームで待ってると目的の列車がやってきました。そこらの人に聞いても鉄道の警備員みたいな人は乗っていいというのに、無銭乗車でペナルティーをとられるぞという人や、聞くたびにいってることが異なって困ってしまいました。

タイムスケジュール
 列車がホームに入ってくると、まだ列車が動いているというのに席を確保するため、乗客は窓から荷物を放り込み、火の輪に飛び込むトラのように次々と電気もついてない車内に飛び込んでいきます。
乗りたい列車が目の前にやってきたのに乗っていいものかわからずもどかしい思いで、一応車両に乗り込んだものの次々席は埋まっていきます。そうこうするうちに出発時刻になっていました。これでだめならあきらめようと、も一人に聞いてみるとメーンの切符売り場とは別のホームと壁を隔ててある切符売り場で買えるといいます。出発時刻も過ぎているし、だめだと思いつつ行列に並んでいると、ここでは横入りする人は警備員によって棒でたたきだされるという、行き届いた整備で10分足らずで窓口にたどり着け、切符を買うことができました。出発予定時刻から15分すぎ。

 動き出し始めていた列車に飛び乗り、朝には目的地に到着できそうとほっと胸をなでおろしたのもつかぬ間、車両をのぞくとそこにいる全員がこちらを見ているのではないかと思うほどあつい視線を浴びました。目があったら避けるという日本のような習慣はないようで、体に穴があいてしまうのではないかと思うほどみつめてきます。
 チケットはとれたはいいものの、予約なしのチケットのため車両には荷物の網棚にまで人がいて、床にすわるところすらありません。この子はどうするんだろうか、とみんな見ていたのでしょう。結局、開けはなれたドアのすぐ脇の連結部分のトイレの前になんとか場所を確保しました。近くに座ってたおじちゃんがビスケットをくれたり、うちが持っていたショールを暑っついのにいちいち頭までかけてくれたり、親切なのか迷惑なのかいろいろ面倒をみてきます。臭さも衛生的にも最悪な場所で翌朝7時まで10時間あまりの道のりは長くて、気がつくと隣のおっちゃんの手が腰に置かれていたり、相変わらずのインド人根性にゆっくり寝ている場合でもなかったようです。しかも服が汚れるからと下にひいてくれた布が湿っててなんとも心地悪く、当分鉄道はいいかなというのが正直なところです。でも10時間あまりのって、運賃は200円にも満たないのです。旅費を安く済ませるのには欠かせない庶民の足なのだなと安さに列車の人気の意味が分かりました。

今回の旅で最初で最後の列車旅日となりました。
| つれづれ旅ばなし/海外アジア編 | 15:35 | comments(3) | trackbacks(0) |
茶畑広がるモナールの丘で 〜40日間インド一周〜
モナールの丘で
 インド=暑い、というイメージを覆してくれたのがコーチンからバスで6時間ばかりいったモナールという町です。ガイドブックには載っていない町だったのですが、漁師町で焼け付くような日差しと片足だけで十箇所以上の虫刺されれに悩まされていたところ、仲良くなった同じ宿の韓国人のおっちゃんがいい避暑地があるよと教えてくれ、モナールという言葉だけを頼りにバスで向かいました。

 この韓国のおっちゃんは、ほとんどインドに住んでいて炊飯器からジューサーまで調理器具を総て持込んで毎日料理をしているのですが、2泊していた間中、チヂミをつくってくれたり、オムレツなどよくごちそうになりました。出発の朝もバナナとヨーグルトの特製ジュースでお別れのモーニングをし、お別れです。バスに乗り込むと、全開というよりガラスのない窓から吹き込んでくる風が気持ちいいです。

モナール 茶畑
 モナールはお茶栽培の盛んな土地で標高1500メートルあまりの高地。見渡すかぎり茶畑でそこらでは牛が草をはみ、のどかな風景が広がっています。窓から吹き込む風は段々目をさますような冷たさとなり、暑さで熱をもった身体を冷やしてくれます。畑はもやがかかっていて美しく、これをみるだけでもインドにきた甲斐があったなと思ってしまいました。

茶畑をゆく
 夕方になると、朝方までいたコーチンでは考えられないような涼しさでブランケットをかけて寝たほどです。高台にある宿からは街の灯りが見渡せ、星がいっぱい、ホタルもちらちらと舞っています。
12月になるとさらに冷え込み、セーターを着なければならないほどらしいのですが、ホタルが木に止まり一斉にちかちかと光を放つようすはまるでイルミネーションされたクリスマスツリーみたいだといいます。日本のホタルといえばきれいな水辺の周辺でしかもほんの一時期しかみれず、いままで2回しかみたことがないのですが、夜にはホタルが部屋まで舞い込んできて、ちかちかとともる灯りを楽しみながら、眠りにつく瞬間は幸せでした。

村の子たち
↑宿がどこも満室で相室させてもらったドイツの子達と茶畑を一日中歩いて回りました。小さな村の子供たちが駆けて来て、家に招いてくれます。
お茶が美味しかった。帰りには髪にジャスミンの花をつけてくれました。こちらではどこへいってもジャスミンを女性たちが髪飾りにしていて、すれ違うといい香りが町を覆っていました。
ティープランテーション
| つれづれ旅ばなし/海外アジア編 | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
india from chennai〜40日間インド一周〜
果物売りの少年
indo ni kiteimasu!
minami wo gurutto mawatte ima Chennai ni kimashita,
atsui desuga nantoka yatteimasu.
mainichi Dosa tabetari fruits ippai!
牛

| つれづれ旅ばなし/海外アジア編 | 15:38 | comments(4) | trackbacks(0) |
韓国パワー 〜韓国弾丸ツアー〜
市場
マイナス8度近い極寒の地・韓国へ、
週末2泊3日の弾丸ツアーを敢行してきました。

空港から宿に到着し、街に繰り出したのがすでに夜9時過ぎ。
宿から見える2.5�にわたる大河には氷が張っていて、
テレビでは何度かワカサギ釣りのニュースが何度も流れ、
徐々に冷え込む寒さに、
耳を帽子で覆ってないとどうなってしまうかと思うほどでした。

こないだいった福島の温泉地なら、
とうにおとなしく宿に戻って、
ともすれば眠りについているであろう時刻に、
韓国の街は煌々とネオンを照らし、ますます活気づいてきます。
デパートでは赤ちゃんですら目を輝かせ、店を走り回っていました。
この計り知れぬパワーはいったい…。
そして前を横切るたびに見る女の子たちの肌の白さに
あやしいおっちゃんのように、目を奪われていました。

おばちゃん

キムチパワーとはよくいったものですが(?)、
その秘訣は、たどり着いた市場でその源が垣間見れました。
それは食べ物に限らず、赤、赤のオンパレード。

山のように盛られた唐辛子の粉!
唐辛子

キムチ!
キムチ

そしておばちゃんたちのまっかな服です!
卸し市場


どこまで続くのかと思われるほど長い廊下が続く服の問屋街で、
右を向いても左を向いても赤い服。
巣鴨で赤いパンツがはやっていたのも、
ルーツは韓国なのかと思ったほどです。

気づけば、寒い寒いいってたうちも、
キムチを食べて唐辛子たっぷりの鍋を食べて、
極寒の韓国を乗り切っていました。
赤パンはさすがに買いませんでしたが・・、日本に戻って、
こっちの寒さなんて甘っちょろいなんていえちゃいました。
たぶん2日ぐらいに限りですが。

結論:韓国人の血には唐辛子が流れています。確実にね。



| つれづれ旅ばなし/海外アジア編 | 23:27 | comments(7) | trackbacks(0) |
韓国市場 〜韓国弾丸ツアー〜
343
gee
htsh
htsh
gahaha

aba
ga
aga
| つれづれ旅ばなし/海外アジア編 | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界のお母さん、お兄さん 〜ミャンマ−〜
ミャンマーの人たちは気さくで、のんびりしてていい。
インドのようにやたらに話しかけてくるでもなく、
遠くからなんとなく見守ってる感じ。
子供たちも笑いかけると、はにかんだ笑顔を見せてくれてかわいらしい。
そして行きかえりとも、人に恵まれた旅でした。
ハッピーワールド

ミッキー、テレタビーズたちが勢ぞろい!?の「ハッピーワールド」

【台湾のお母さん】
ミャンマーへの行き帰りはトランジットで台北泊。
いつも行ってる宿があるので、特に心配もしてなかったのですが、
飛行機でたまたま隣に乗り合わせた女性が話しかけてきて、
宿をとってないと知ると、
「まー、たーいへーん!」と心配されました。
どうやら高校生だと思われていたようで・・。

このお母さん、話せば台湾・高雄の出身で、
結婚して東京都・大島に嫁いで20数年。
今日も竹芝から船を乗り継いでやってきたといい、
うちも先々週、神津島にキャンプにいったばかりだったので、
釣り話や島の話などに花が咲きました。

最近、ご主人を亡くして、
もう島にいてもしょうがないので、
籍を台湾に戻す手続きをしに日本にきていたのだといいます。
その手続きやら、親戚回りで最近は日本と台湾を行ったりきたり。
だんなさんが亡くなったさみしさもあって、
体重は10キロ近く落ち、目にはクマができ、
夜はいまだによく眠れなくなってしまったそうです。

夫婦仲がとってもよくて、いつもふたりで海へいって、
イカやアジをいっぱい釣って近所におすそわけして。
そんな話を楽しそうに話すのを聞いてたら、
旦那さんは幸せ者だなーと思ってしまいました。
旦那さんがなくなったのは2年前。胃がんだったといいます。

結局、子どもと孫の中間のようなうちをほっとけなかったらしく、
帰りのタクシー代だけなら宿をとるよりいいでしょ、と
いとこの家に案内してくれるといいます。
せっかくなのでご厚意を受けることにしました。

このお母さん、日本語をしゃべってるとやさしいのだけど、
携帯を取り出し、いったん北京語でしゃべりだすと、
タバコを片手にまくし立て、迫力がある・・。
あっけにとられてると、
「しゃべるとみんな怒ってるみたいでしょー」と言われ、
ほんとその通りだと思いました。自覚症状あるのに驚きました。
荷物はうちに持たせて、免税店でタバコを買い込んだり、
タクシー待ちしててタバコを吸って灰皿がなくて、
運ちゃん用の灰皿を勝手に拝借したり、大阪のおばちゃん風でもあり、
結構お茶目でした。

いとこ家につくころは夜も12時近く。
でもいとこたちも突然の訪問に特に気にした様子もなく、
テレビに夢中でした。
そこでまず目に飛び込んできたのは酒井法子の子供がみつかったらしい、
というニュースで、あとは台風情報。
台湾はこの時期、雨がすごいようでこの日も豪雨。
明日の便はほぼ欠航というテロップが流れてて、
心配してみんなで航空会社に問い合わせをしてくれました。
当のうちは、その状況を理解していなかったので、
なんとかなるだろうと思っていたのですが、
翌日、空港で日本行きの便がすべて欠航となってるボードを見て、
ようやく昨夜なんであんなにみんなが心配してくれたのかを理解しました。
ヤンゴン行きの欠航は免れたので、
お礼の電話を一本いれて台北をあとにしました。

また日本に来たときにごちそうします、といったら、
いいわよーと笑われてしまいました。

【ミャンマーのお兄さん】
マーケットの親子
カローの町で一緒に回ってた友達と別れ、
ヤンゴンに戻る夜行バスを待ってうろついてたら、
「マイネーム イズ ルル」とおっちゃんが握手を求めてきます。

抜けっ歯で、やたらと満面の笑みをうかべ、
怪しさ満点でしたが、特に害もなさそうなので、
お茶をして、マーケットを案内してもらいました。

ほんとはただの知り合いといった程度のマーケットの店主たちを、
「彼女は姉さん」「彼は兄さん」
と一軒一軒回って紹介してくれ、そのたびに握手を交わす。
マーケット以外特に見所もなかったので、
仏の細工をしてる兄さんのしごとっぷりをみたり、
つまみぐいさせてもらったり、よい暇つぶしとなりました。

途中、ミャンマーにきてから気になってたガムも体験。
道のそこらで葉っぱに香辛料などを乗せて、
白い液体をつけてまいて売ってる屋台があり、
ルルも立ち寄って買っています。
一つどうだというけど、みんなそのせいで歯が真っ赤だし、
何が入ってるのやらわからないし、とためらっていたら、
オリジナルブレンドをお姉さんが調合してくれたようなので、
おそるおそる食べてみることにしました。

タバコのようなものと思っていたけど、
どうやらガムといったほうが近いか。
みんな1日30個!ちかく食べてるそうです。

甘く煮詰めたようなパパイヤと、シナモンの棒とクローブ、クミン、
噛むと木のバリッとした触感と、甘苦い果汁と香りが口に広がりました。
みんなのはもっと苦いようだけど、
この香辛料の組み合わせが反応を起こして、赤くなるらしい。
このカスをペッペと道端に吐き出すので、
ミャンマーの道は真っ赤で、
最初は血を吐いているのかとぎょっとしたものです。

そうこう連れまわされているうちに、
友達と紹介された一人の兄さんが助け舟を足してくれて、
彼の家族のいるとこでお菓子を食べて待ってるといいと、
家に招いてくれました。

うちと同い年くらいの妹と、その赤ちゃん、
あとは美人で照れ屋さんのお姉ちゃん、
立ち寄りがてらのんびり休憩しているお医者さん、
いろんな人が入れ替われ立ち代り来て、
乾燥させたひまわりの種を食べたりしながら、
おしゃべりして帰っていきます。

お姉さんはとってもきれいで若くみえましたが41歳で、
24歳と20歳の息子がいるといいます。
そして旦那さんは、な、なんとインドの大スターであり、
うちの好きなアミダブバッチャンに似てるそうで、
美男美女でいいなーとうらやましがっていたら、たいそう笑われました。

奥は店に出すためのジュースをパッキングしたりする台所で、
味見させてもらいながら、みんなでキッチントーク。
女の人が台所を仕切っているのはどこの国も一緒のようです。

結局、3時間ほどいさせてもらい、
お見送りされながらバスに乗りこみました。

ヤンゴンで泊まっていた宿に戻るだけだったのですが、
仕事の途中でぬけだしてまたもどってきた兄さんは、
やたら心配し、宿に予約の電話までしてくれました。

ヤンゴンの宿につくと朝っぱらから4回も予約の電話があったよと、
宿のおっちゃんも苦笑いでした。

ルルはといえば、
帰りのバス待ちで近くでチャイを飲んでいたら、どこともなくやってきて、
また話に加わっていました。
そしてまた握手して、去っていきました。
| つれづれ旅ばなし/海外アジア編 | 18:42 | comments(2) | trackbacks(0) |
世界一の穴を求めて 〜ミャンマ−〜
ヤンゴン 宿より望む
「バガン行かずして、ミャンマーを語るべからず」
という友達の教えを請うて意気揚々ミャンマーに向かったのですが、
雨が降ったり止んだりと、どんより憂鬱なヤンゴンで
次第に最初の意気込みも薄れ、
結局バガンにも、もひとついっておくべき見所、
インレー湖にもいかずじまいとなってしまいました。


【洞窟探訪ピンダヤ ショートトリップ】
学校

それではどこに行ってきたかと言うと、
旅を続けて11ヶ月になろうという友達とヤンゴンの宿で合流し、
真夜中に汗をたらしながら、
扇風機の風を直に受けながらガイドブックを見ていたら、
目に飛び込んできたのがピンダヤという町。

バガン、インレー湖へいく町の中継点カローから40キロほど北に行った
標高1000メートルちょっとのシャン州南部の小さな町で、
全長150メートルにも及ぶ鍾乳洞があるとあります。
高所好き、穴好き、暗いとこも好きな我らとしたら
これは行くしかありません。
異様な即決力で、旅の予定を組み立てたのでした。

しかもこの洞窟には、仏の顔に浮いた汗を塗ると、
幸福な未来と美しさが手にいれられるという「汗をかく仏像」と、
「願うだけで望みが叶う仏塔」があるというではありませんか。
ますます期待が高まります。

翌朝、まずはカローまで夜行バスで、むむむ17時間・・。
地元民が乗り降りすることは何度かあったものの、
昼の12時半から9時ごろほぼノンストップで進んでったのは参りました。
おなかも減るし、トイレもいきたいし。
しかも今は雨季だということもあり、途中の町は水没し、
その中を突き進んでいく光景はなんともすさまじいものでした。

それはそうとなんとかカローに到着し、
初日は、この町にもあった比較的規模の小さい洞窟寺院をたずね、
翌日、メーンとなるシュエウーミン洞窟寺院を目指してピンダヤに向かいました。
カローの洞窟寺院

【カロー→ピンダヤ】
ただこの40キロたらずが、長〜い、長い旅に。
まず乗り合いバスで20分ほどの中継地点にいくまでに、
配線コードを手でよらないとエンジンがかからないほどのおんぼろ日本車に野菜や荷物も入り混じって30人あまりを乗せて、
プツプツ音を鳴らしながら進んでいきます。
それから乗り換えて、待つこと多分40分以上・・。

座るところがもうないというのに、またかと思うほど人が乗り込んできて、
しまいには床にも天井にもパイナップルや人や。
その状態で、キャベツ畑が広がる高原地帯の道を1時間半あまり行くのだから、意識も朦朧としてきて、うつらうつらとみんなで舟をこいでました。

気づけば湖をはさんで、山の斜面に寺がへばりつく様に建っていて、
いくつかの寺を繋ぐ回廊が大蛇のように連なっているのが見えてきました。
階段は200段あまり。
息を切らしながら本堂につくと、
そこからは町と広大な高原が広がっていました。
本堂の奥には念願の洞窟があって、その入り口に立つと、
ひんやりとした冷気が伝わってきました。
天井は想像以上に高く、その仏の数の多さは息をのむほど。

床は水滴で滑りやすく、途中何度も停電でまっくらになりながら、
ちゃんと持参した懐中電灯の明かりを頼りに進んでいきます。
日本ではありえない停電のたびに、
興奮を味わいながら、洞窟探検を満喫しました。

【ピンダヤ→カロー!?】
これで無事小旅行の旅は終わりとなればいいのですが、
まだまだ続きがあって、ピンダヤから宿のあるカローへ戻ろうとしたら、
午後はバスがないといいます。
ガイドブックにはそうあったけれど、まさかのまさかです。
タクシーを頼むと3万チャット!
いま思えば3000円足らずですが、
宿が600円足らずとするとたいそうな値段です。

歩けるとこまで歩いて、ヒッチハイクしようかといいつつ歩き始めますが、
歩いても歩いても通りがかるのはバイクだけ。
途中の検問所でどうしたものかと聞いてみると、
待っているといい、といった様子でプラスチックの椅子と、
中国茶の入った魔法瓶を持ってきてくれました。

そして待つこと1、2、、、、3時間、、。

しばらく日本に帰ってない友達と、
帰ったらまず食べたい日本食を片っ端からあげたり、
最新の芸能情報を教えてもらったり!?して時間をつぶしてましたが、
一向に車も来ないし、来てもなにやら方向が違うのか、
乗せてくるのには至らない。

次第に当たりは暗くなって、
ついには何にも見えなくなって、ホタルが飛び交いはじめてました。

結局、バイクも途絶えて、
さっきまで後ろの小屋で歌を歌ってた検問所の人たちに、
「今来た道を戻って宿を取るしかないね」といわれ、戻ることに。
いまさら!と思いつつ、早く言ってくれればいいのにという怒りも沸き起こらず、おじさんのバイクにまたがり、
夜風をあびながら歩いてきた道を一瞬で駆け抜けたのでした。

バスの発着所の近くに宿を取り、
翌朝5時半のバスに乗ってカローに戻りました。
| つれづれ旅ばなし/海外アジア編 | 01:17 | comments(2) | trackbacks(0) |
| 1/2PAGES | >>